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ジャーナリスト浅野詠子

奈良市高畑町、ヴォーリズ設計の古屋敷巡り保存運動

ヴォーリズ設計と伝えられる古い屋敷。当初、敷地と建物を取得した大和ハウス工業の連絡先が掲げてあったが、現在は取り外されている=2025年4月8日、奈良市高畑町、浅野詠子撮影

ヴォーリズ設計と伝えられる古い屋敷。当初、敷地と建物を取得した大和ハウス工業の連絡先が掲げてあったが、現在は取り外されている=2025年4月8日、奈良市高畑町、浅野詠子撮影

 米国出身の建築家、ウイリアム・メレル・ヴォーリズ(1880~1964年)が戦前に設計したと伝えられる奈良市高畑町の古い屋敷を巡って、保存運動が起こっている。今年3月、大和ハウス工業が建物の取り壊しと敷地の売却を念頭に取得。門に同社の連絡先が掲げられたことから、事情を知った地域住民らが今月1日、保存を求める要望書を同社に提出した。ゴールデンウイーク明けに予定されていた解体工事は着手されておらず、同社は取材に対し「地元住民の声を聞き、今後の在り方を検討する」としている。

 ヴォーリズは国内各地で魅力ある洋館を多数設計した著名な建築家。高畑町の屋敷については、ヴォーリズ事務所が作製した図面や仕様書、パースなどの資料が残っていることを十数年前、研究者が屋敷の関係者から聞いている。建物は木造瓦ぶきの2階建てで外壁はモルタル。床面積は1階が107平方メートル、2階が97平方メートル。敷地は483平方メートル。

 建てた人物について明確な資料はないが、土地は1934年、日本画家の栗盛吉蔵が取得していた。建物の登記はこの時点では行われていない。旧奈良文化女子短大(現・学校法人奈良学園)の厚生第二課長だった村田平さんが1978年、同大学広報紙「奈良文化」に執筆した、昭和初年の志賀直哉邸かいわいの文士・画家の住宅図に「栗盛吉蔵宅」の位置が明記され、登記簿の土地の地番と一致する。

 これにより、栗盛が1930年代、ヴォーリズ事務所に設計を依頼し、建築された可能性が高い。当時の新築は、奈良公園の景観に配慮する県の決まりがあり、建物は落ち着いた外観を持ちながらも、正面に円窓、側面に煙突のような造形を施していて、モダンな印象を与えている。

 県教育委員会は2011年、入江泰吉旧居(大正時代、奈良市水門町)やロート製薬創業者邸(昭和初期、同市高畑町)など、近代和風と呼ばれる和洋折衷の県内建築物2414件を調査した。同教委文化財課は「すべての近代和風建築や近代化遺産(建築)を調査したわけではないが、奈良市高畑町以外にヴォーリズ建築が存在することは把握していない」としており、現存する県内唯一のヴォーリズ建築とみられる。

 「高畑の歴史と風土を語る集い」は屋敷を地域の文化遺産「栗盛吉蔵旧居」として高く評価。代表で高畑町に住む大槻旭彦さんは今月1日、奈良市内の建築に詳しい奈良女子大学・京都大学名誉教授の増井正哉さんらとの連名で大和ハウス工業に保存を要望した。

 今後、「栗盛旧居」の存続を願って、まちづくり団体とも連携してシンポジウムなども開く。大槻さんは「栗盛は奈良公園を写生中、高畑サロンゆかりの洋画家・浜田葆光(旧居現存)と知り合ったと聞いている。かけがえのない建物だ。大和ハウス工業は『まず話し合いましょう』という姿勢を見せている」と話している。門に掲げられていた同社の連絡先は現在、取り外されている。

 高畑町では40数年前、解体の危機にあった志賀直哉旧居(1929年建築)の保存運動が起こり、奈良学園が名乗りを上げ取得した。

秋田画壇で「大御所級」と報じられた栗盛吉蔵

 「栗盛旧居」から歩いて3分の所に志賀直哉旧居がある。志賀の作品や日記、書簡を渉猟した奈良女子大学名誉教授の弦巻克二さんによると、1934年12月17日の日記に「若山国盛といふ人を連れてくる」という記述がある。

 「志賀直哉は栗盛という姓をクニモリと聞き間違えて国盛と書いた可能性もある」と弦巻さんは話す。

 日記の「若山」は、高畑サロンと呼ばれた志賀邸での文化人交流の場に頻繁に出入りしていた洋画家の若山為三。若山の旧居は現存し、「栗盛旧居」の西隣に当たる。

 栗盛は1897年、秋田県旧大館町(現・大館市)大潟市生まれ。同市の大館郷土博物館の荒谷由季子学芸員によると、京都市立芸術大学の前身、同市立美術工芸学校本科を大正年間に卒業。1942年には奈良県美術協会の日本画部幹事になった。同協会は若山が設立に関わったといわれる。

 その2年後、栗盛は家族の事情などにより秋田に帰省し、高畑町の土地と屋敷を手放した。一般の住宅として戦後も存続したが、南隣の日本キリスト教団高畑教会の牧師の藤川義人さんが2008年に赴任した当時、「栗盛旧居」はすでに空き家だった。現在は複数の窓ガラスが割れていて、点検作業のために最近、屋敷内に入った人の話では、浴室付近にシロアリのような虫がたくさんいたという。

 「解体する予定があると聞いたときは惜しいなと思いました。しかし私どもの教会の前身はヴォーリズの設計であり、老朽化した建物の維持が大変困難となって34年前に建て替えを決断しました。申し上げるべき言葉が見つかりません」と藤川さん。ヴォーリズ時代の教会の姿は近所の画家が描いており、高畑教会はこの絵画を大切に保存している。

 周辺は、奈良地方法務局が保管する旧土地台帳によると、春日大社の神職ゆかりの一族が明治時代に住んでいた辺り。「栗盛旧居」は古い町並みに合わせ、瓦を載せた築地塀で囲まれている。

 栗盛は鹿を描いていた。同博物館によると、建て替え前の旧大館市役所庁舎の議員控え室に飾られていたそうだ。戦後は秋田県内の高校の美術教師になり1963年、県立大館鳳鳴高校を63歳で退職した当時、80号の壁掛け画を同校に寄贈したと地元紙は報じている。栗盛は秋田画壇の大御所級だったと記事にある。

 近代以降、高畑町の独特な風致に引かれ住居を構えた文化人を指して「高畑族」と、地元の古老は愛着を込めて呼ぶ。画家の山下繁雄、足立源一郎(旧居現存)らは1910年代後半に移住。その後、志賀直哉が広い屋敷を普請し、志賀を慕う文士の往来が増え、文士と画家の交流も繰り広げられた。荒谷学芸員は「大館市では、まずまず名の知られた画家たちが栗盛の影響を少なからず受けているにも関わらず、いまだ詳細な検証はなされていません」と話す。

筆者情報

まちかど探訪)志賀直哉らゆかりのまち、塀もバラエティー豊か 奈良市高畑町 伝統と近現代が共存

バラエティーに富んだ奈良市高畑町の塀、浅野詠子撮影

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